概略
本寺は、藤林山西福寺と号し、真言宗豊山派に属し、本山は奈良の長谷寺です。慶長元年(1596年)豊臣秀吉の時代に開創されました。江戸時代は藤堂高虎家の祈願寺であり、染井よしの桜の発祥の寺として由緒ある名刹です。
ご本尊様は、奈良時代の徳一大師作の阿弥陀如来であり、本堂の宮殿に安置されています。また、本堂に安置されております閻魔大王も徳一大師作であります。
教義は、弘法大師・空海の教え「即身成仏」「鎮護国家」です。
本寺は、明暦・天明・嘉永年間に3度、火災により焼失し、現在の本堂は昭和55年(1980年)に落成しました。初代住職は不明ですが、2代目住職久念(1659年萬治2年没)以降の先師は尊霊碑に記されています。現住職は27代目です。3代目住職祐心は染井稲荷神社に本寺物十一面観音を奉納し大正12年(1923年)に西福寺から神社が分かれ現在に至っています。
図会(巻三)によると、「染井村に藤林山西福寺あり(〜中略〜)本堂の左に往古より鎮座して染井一村の鎮守あり 染井神社という。この所に染井と名付けた泉が在り、村を染井と云うもこの泉による」とあります。
古地図に見る西福寺周辺
現在の西福寺周辺
六地蔵
山門の右手に供養塚があり、六地蔵があります。明歴元年(1655年)11月8日と記され、豊島区最古の六地蔵です。
この世に生をうけたものは、自ら作った業によって生死を繰り返す6つの世界、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道があるといわれます。これらの世界で悩み苦しむものに救いの手をさしのべ、浄土へ導いて下さるお地蔵さんを表しています。
樹仙の墓碑
8代将軍吉宗の時代、江戸城内の庭師を務めていた伊藤伊兵衛政武の墓が本寺にあり、東京都の史跡になっています。伊兵衛政武は1757年に亡くなり、戒名を樹仙浄観信士と記されています。植物に大変造詣が深く、花壇大全、草木絵全集、地錦抄、百花紅葉集など32冊の貴重な書物を書き残しています。これらの書物は、本寺に蔵書として保管されています。